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どうもゆまじんです!
 
 
今日は有名なことわざの由来をご紹介したいと思います!
 
意味だけでなく、由来を知れば、使い方を間違える心配もなくなりますね!
 
 
それでは見ていきましょう!
 
 
 
 
月とすっぽん
 
 
二つのものが比較にならないほど違っていることの例えですね。
 
 
月とすっぽんは同じように丸いが、美しさは比較にならないことから、このことわざが出来たようです。
 
 
 
同じ意味のことわざに「提灯に釣鐘」というものがあります。
 
 
 
釣鐘はお寺などにある上から釣られている鐘のことで、月とすっぽん同様、形は似ているが重さは比較にならないほどかけ離れていることの例えです。
 
 
 
 
比較するものに共通点がない場合はこのことわざを使うのは避けた方が無難ですね!
 
 
 
 
 
 
 
豚に真珠
 
 
 
新約聖書「マタイによる福音書7章六節」がこのことわざの由来になっております。
 

マタイによる福音書7章六節

神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ったあなたがたにかみついてくるだろう。

新共同訳「聖書」より引用

 
 
当時は犬や豚は汚らわしい存在として扱われていました。
 
そのような動物に高価な真珠を与えても、価値がわからず踏みにじるだけだとイエス・キリストは
説いたのですね。
 
 
当時はと書きましたが、現在も犬と豚は罵倒で使われる言葉でしたね…国家の犬や豚野郎など……。
 
 
 
2000年間悪いイメージを拭えない犬と豚に幸あれ。
 
 
 
 
時は金なり
 
 
この言葉が英語の「Time is money」が由来になっていることは有名ですね。
 
 
この言葉を残したのはアメリカ建国の父と呼ばれるベンジャミン=フランクリンです。
 
独立宣言、トマス=ジェファソン、ベンジャミン=フランクリン、ジョン=アダムズ……世界史で習いましたね。懐かしいです。
 
彼によれば「1日で1万円稼げる人間が、1日何もせず数百円しか使わなかった」としても、本当に失ったものはそれだけではないと考えるようです。
 
この考えは機会損失に近いものであると思います。
 
 
機会損失とは利益を得る機会があったのにもかかわらず、それを失ってしまった状態のことを指します。
 
例えば今の任天堂スイッチなどは任天堂から見れば機会損失であると言えます。
 
 
つまり「時間はお金と同じくらい大切だよ〜」という生っちょろい意味ではなく、「時間を有効に使えば、さらに利益を生み出せるのだから、時間を浪費してはいけない」という若干厳しいお言葉ですね。
 
 
歳を取れば取るほど、お金よりも時間の方が大切に感じる今日この頃です。
 
 
 
 
 
瓢箪から駒
 
 
このことわざ、字面だけでは何のことかわかりませんよね。
 
駒とは馬のことで、瓢箪から駒が出るとも使われます。

 

意味は「意外なところから思いもならないものが出る」ことの例えです。
 
 
瓢箪から馬が出てくるなんてッ……!!ということですね。
 
 
由来となった話が二つあります。
 
一つは、中国の張果老という仙人が各地をロバで走り回り、休憩の際にロバを瓢箪の中に入れたという伝説。
 
もう一つは日本の「宇治拾遺物語」の「雀報恩事」で、雀を助けた老婆が、雀からもらった瓢箪の種を育て、育った瓢箪から米が出てきた話(後に米より馬が出てきた方が意外であるという理由駒に変わった)。
 
 
ちなみに雀報恩事はおとぎ話「舌切り雀」の原典です。
 
 
 
昔から瓢箪には不思議なイメージがあったようですね。
 
 
まああのビジュアルですからね…笑
 
 
 
 
 
 
 
目から鱗が落ちる
 
 
 
目から鱗と略されることが多いですが、この言葉も聖書のエピソードが由来になっています。
 

使徒言行録第9章18節〜19節

すると、たちまに目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

新共同訳「聖書」より引用

 

サウロはキリスト教を迫害するグループのリーダーで、旅の途中でイエスの霊に遭遇し、強い光で3日間視力を失います。

 

キリスト教徒の祈りによって開眼するわけですが、その時に目から鱗のようなものが落ちたのです。

 

サウロはその後パウロと改名し、キリスト教の伝道に尽力します。

 

ブラジルのサンパウロも聖パウロの意で、サウロが由来になっていて、キリスト教が世界に与えた影響は多大なものですね。

 

 
 
 
 
 
残り物には福がある
 
 
 
「伊賀越道中双六」の中の「余り茶に福がある。然らば今一つ」というセリフが由来になっています。
 
 
これは順番が後になったり、手にするのが最後になってしまった人を慰める意味の言葉です。
 
 
また、我先にと手を伸ばす行為は、はしたなく、「皆が取り終えた後に頂くこと」が奥ゆかしいという昔の日本人の美徳から生まれた言葉であるとも言われます。
 
 
この言葉のおかげで残ったものを人に勧めることが出来るわけですから、ことわざの説得力は偉大ですね。
 
 
 
 
胡麻をする
 
 
 
 
お世辞やおべっかなどで人の機嫌を取ることですが、なぜ胡麻をするなのでしょうか。
 
 
これば胡麻をすり鉢で潰した経験があると分かりやすいです。
 
すり鉢で胡麻を潰すと鉢のあちこちに胡麻がべったり付く様からこのことわざになったようです。
 
 
 
人にべったりとくっついて媚びへつらう様を見て、胡麻すりみたいだなと思っただなんて、昔の人は例えツッコミが上手ですね。
 
 
 
 
まとめ
 
いかがでしたか?
 
豚に真珠、目から鱗は聖書由来なのか!と思った方も多いと思います。
 
聖書由来の言葉は他にも多くあるため、今後まとめていきたいと思います。
 
それではまた!
 



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